平和を考える茅ヶ崎市民の会実行委員会
平和を考える茅ヶ崎市民の会実行委員会
戦争のない世界を、核兵器の世界をめざして、地域・家庭から草の根平和運動の推進をし、市民に平和の尊さを伝え、考えていただく活動を行っています。(設立1988年6月、正会員20名)
《委員長の野原 富美子さん、会員の長谷川 由美さんにお話をうかがいました》
「平和」の大切さを呼びかける活動をずっと
茅ヶ崎市より委託を受け1962年「平和都市宣言」、1985年「茅ヶ崎市核兵器廃絶平和年宣言」2つの宣言に基づき平和啓発活動を行っています。市と協働で運営していく上で、行政、市民、各種団体から委員が選出され、様々な方と共に活動をしてきました。
しかし、残念なことに財政上の理由により2021年度から市からの委託がなくなり、またコロナ禍で活動の場が縮小されたまま元に戻らない状態です。このように活動の制限がある中でも「活動を止めるわけにはいかない!」という思いで今までの実績を踏まえ、できることを続けています。
「平和」という広い意味の中でも「戦争の悲惨さを忘れないように」が活動の柱。毎年8月に行う「原爆展」では広島、長崎の被爆の惨状や茅ヶ崎で戦争中に起きたことを資料やパネルで紹介。その他、原子爆弾の2分の1サイズのオブジェ(広島:リトルボーイ、長崎:ファットマン)展示、紙芝居などで分かりやすく原爆について伝えています。8月と2月には、市内小中学校の協力を得て、平和に対する思いや願いが込められた短文を展示する「平和への願い 短文展」も開催しています。
若い世代へ伝え継ぐ
戦争の悲惨さを若い世代にも伝える機会を大切にしています。語り継ぎの依頼があれば出向いていましたが現在、語り部の方は高齢のためDVDの貸し出しをしています。また去年から今年にかけ、市内小中学校から平和啓発として原爆に関するパネルや資料の貸し出し依頼がきています。校内の合唱コンクールで「消えた8月」を歌うため、生徒に原爆への理解を深め、寄り添う気持ちを持って欲しいと中学校から依頼があり、パネルや資料に加えて視覚的インパクトがある原子爆弾のオブジェも貸し出したそうです。きっと本番当日は、平和の願いを込めた歌声が会場いっぱいに広がり、感動をもたらしたことでしょう。
2017年からは、サポセン主催事業の「ボランティア塾in鶴嶺高校*」に参加しています。(*ニューズレターのボランティア塾P4参照)
今年の授業のテーマは「平和PEACEのインフルエンサーになろう」~イベント企画に挑戦。参加した生徒たちから「実際に住んでいるところの戦争の被害を知るのが初めてだった」「原爆や戦争について深い知識を得られた」などの声が寄せられ、興味や共感を持つきっかけになったようです。
茅ヶ崎の戦時中のこと語ります
茅ヶ崎の戦時中ってどうだったのでしょう。空襲被害で亡くなった方がいること。辻堂海岸がアメリカ軍の演習地だったため昭和32年位まで、砲撃の振動で崩れた家があったこと。平和のシンボル 佐々木 禎子さんが折った折り鶴「サダコのオリヅル」が茅ヶ崎市に寄贈されていること。お二人から話を聞けば聞くほど興味深い話がたくさんありました。
「原爆展」では、パネルを見て体験談や昔の茅ヶ崎を語ってくれる年配の方も多く、ショッピングセンターでの展示時は、幅広い世代の方が足を留めて、戦時中の茅ヶ崎について興味を持ってくれる方がとても多いと実感するそうです。
市民の方とのふれあいを通じて得た昔の貴重な話はしっかり受け止め、団体の大切な資料として保存しパネル展や資料として紹介しています。
「原爆パネルや資料は貸し出し可能で、必要なら説明スタッフも派遣します。興味がある方は連絡をください!」“平和”を考える機会を多くの方に届けたい思いが伝わってきました。取材をきっかけに昔の茅ヶ崎をもっと知りたいと思ったと同時に、改めて平和の大切さを考えることができました。世界中の人が平和で過ごせるように…願いはみな同じ、皆さんも「原爆展」や「短文展」に足を運んでみてはいかがですか。
2025年2月5日(水)~7日(金)、市役所本庁舎1階ふれあいプラザで「平和の願い 短文展」が開催されます。市内小中学校から寄せられた約1900編の短文の他、平和の願いを書に託した「書」の展示もあります。 |